山元弘道、変人な半生を語る「心を癒す大きな力」

海外での珍体験 〜アルバイトが本業に〜

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本日はお忙しいところ、お時間を割いて頂きましてありがとうございます。早速ですが、プロフィールを拝見しますと、学生時代に輸入会社でアルバイトとなっていますが、これって珍しいアルバイトですよね。偶然なのですか? それともそういう方面の専攻だったんですか?

山元:

はい、(大学の)ゼミの先生の弟さんが東京で輸入会社を経営されていて(現在も健在)、ちょうど私が3回生のときに3ヶ月ほどアメリカをバックパッカー(リュックひとつを背負ってカネをかけずに旅する人)することになり、出国の際に東京でお世話になったのがきっかけで、アルバイトすることになりました
。 専攻は英米語学科の国際関係論でした。国際関係というと偉そうに聞こえますが、国際関係もその基幹をなしているのはその国々の人々、つまり人間関係であり、それをひらたく表現すれば男と女の関係論、恋愛論といえば分かりやすいでしょうか(笑)。

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なるほど「色っぽい国際関係」がご専門ですか(笑)。でもアルバイトで、インド・パキスタン出張に同行するというのも凄い話ですね。その時の面白いエピソードとかありますか?

山元:

エピソードですか。う〜ん。いろいろは面白い話はたくさんありますが、何がいいでしょうね(笑)。
入国審査で物凄くたくさんの人が行列をなしていたのですが、そこに、一人の役人が寄ってきて、一言二言、強烈な巻き舌の英語でハッキリと??ですが、どうも1ドル札をパスポートに挟めと言っているようでした。次に、タバコに火をつける仕草をするので、百円ライターを差し出したところ、おもむろにポケットにしまいこみ、1ドル札の挟まったパスポートを掴むや否や、行列の先頭に割り込んで、すんなりと通関を済ませることができたのでした。当時まだ1ドルが300円位でしたから、税関職員には相当なご祝儀だったはずですね。

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露骨な賄賂ですね。今でもそういう話はよく聞きますよね。

山元:

ホテルでコーヒーを頼んだら、缶に入ったインスタントのネスカフェが出てきて、ついてきたミルクは山羊のミルク。砂糖は解ける気配すらないような黒くて硬い、おまけにコショーがついてきたのにはびっくりでした(パキスタンの人は牛乳にもコショーをかけて飲むくらい辛いのが好き)。
それとバザーの中は四六時中コーランが流れ、通路という通路の壁は赤い血で染まっていましたね。後でわかったことなのですが、これは緑葉に石灰、木の実などを包み込んで、口に入れて噛むと、赤い汁が出るんですね、それを所かまわず吐き散らすために、血に染まったように見えたんですね。わかりやすく言えば、大リーガーが噛みタバコをかんで吐き出す光景が以前はテレビで時折見られましたが、まさしくあの状況ですね。
そんな中で、交通事故で人が怪我して道路に横たわっているのに、誰も助けるどころか、見てみぬ振りをしているので、駆け寄ろうとしたら、駄目だときつく制止されたんですよ。理由を聞いたら、下手に助けたら、助けたあんたが被疑者にされると。声も出ませんでした。その後、何度も筵をかけられた人が道端に横たわっている光景を目の当たりにしましたが、なんともやるせない気持ちでした。それだけ貧しかったんですね。って、面白いエピソードとはずいぶんとかけ離れてしまいましたね。
インドはパキスタンと違って牛が神様ですから、道行く牛は我が物顔で闊歩していましたね。これまたいろいろありますが、普通、夏に車に乗るときにエアコンがなければ窓を開けて走りますよね、でもインドでは、窓を閉めて走るんですよ。なぜか、熱風が吹き込んで暑くてたまらないから、窓を閉めて走っていましたね。それと、車にワイパーがついていないんですよ。雨が振ったらどうするのと聞いたところ、盗られちゃうんで付けてないんだそうですよ。
もし雨が振り出したらどうすると聞いたら、家にワイパーを取りに帰るか、手で窓を拭きながら運転するんだそうで、なんとものんびりとした時代でした。そうそう、食事は毎日カレーなのですが、外国人には辛すぎるからとヨーグルトをいつも準備してもらっていたんですね、もともと嫌いじゃないので、張り切って食べてたら辛さが歯にきちゃいましてね、食事ができなくなってしまい、げっそりと痩せて帰国した記憶がありますよ。

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海外に出て一番困るのはやっぱり食事ですね。それにしても、歯がダメになるような「辛さ」とは凄まじいものがありますね。話を聞いているだけで歯がおかしくなってきました(笑)。ところで繊維関係のものを輸入されていたわけですが、どんなものを輸入していたんですか?

山元:

当時、フォークロア(民俗学)が流行だったものですから、日本で起こしたパターンで、インド・パキスタンで作られた生地を使用して衣料品を作って輸入してたんですよ。別名ワンウォッシュってアメリカでは言われていましたね。
ほかには、トルコから毛皮の商品、ギリシャからはシャギーのコート、モロッコからはバックなど、ほかに香港、中国、フィリピンなどからいろいろなものを輸入していましたね。繊維は繊維でも中国から買い付けをした竹で作ったバンブーウェアは、通関の際に虫がいるとのことで、コンテナごと滅却処分になったこともありましたよ。

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それで、繊維業界の不況とともに輸入から輸出へ転換されるわけですが、唐突に「ブルネイ王国」が出てくるのは?(笑) 国際競争入札とは、何の入札だったのですか?

山元:

王宮工事の国際競争入札だったんです。
これまたゼミの先生からの誘いで、ブルネイ王朝の王宮工事を一手に引き受ける合弁会社を設立するから手伝ったほしいとの依頼があったんですね。っというのも、ゼミの先生が当時国会議事堂のすぐ近くにあるBRビル(結構有名は政治家が事務所を構えている)に研究室を持っていましてね、その研究室に出入りしていた関係者のからの依頼があったとのことでした。
当時ブルネイは石油大国(現在もかな?)で、税金のない国といわれているくらいとても裕福な国で、王宮工事に当てられる予算が500億円ともそれ以上とも言われていたんですね。その工事の受注をするための合弁会社設立だったんです。当初の話では九分九厘間違いなく落札できるとの触れ込みで、赤坂にある某超大手ゼネコンの下請けとして合弁会社設立を手伝ってほしいとの要請で参加したんですね。が、結果的に1億円の差で韓国に持っていかれちゃいました。それであえなく計画は頓挫したわけです。

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何かドロドロとした話のようですね。さらに突っ込みたいのですが、ここに掲載できなくなると困りますので、これ以上は聞きません(笑)。

山元:

ブルネイの話が頓挫してからは、さらに変な輸入をしていたんですよ(笑)。今度は「人の輸入」ですよ。労働力の確保ですね。

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それが「中国からの留学研修生の受入」というわけですか。

山元:

当時建設業界では労働力が大変不足していた関係で、中国から土技術研修という名目で中国人を受け入れることになったんですね。
ただし、聞こえはいいですが、当時中国は外貨不足、したがって外貨稼ぎのために中国人が出稼ぎをしたかったわけです。こちらも安価で労働力が得られるので双方一挙両得ってところですか。おまけに出稼ぎにきた人との表向きの契約は、一人あたりの月給10万円。たいへん安価。でもね、本人に手渡されるのは2万円〜3万円、残りは中国政府が吸い上げるといった構図になっていましたね。

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うっ、国の体制が違うとは言え、理不尽な印象を拭えませんね。

山元:

でも、衣食住は一応こちら持ちでしたし、中国の給与と比較したら年収4000円が一挙に月収で3万円になるわけですから、大金持ちになって帰国できるわけですね。ただ、数ヶ月滞在すると、現場で聞く日本人の給料を耳にして、どうして給料に差があるのかと抗議を受けて苦労したこともありました。
生活面では、宿舎の風呂に日本人といっしょに入るわけですが、洋服を着たまま石鹸を塗って浴槽で洗濯をはじめたり、冷蔵庫はヘルメットやかばんの置き場所、洗濯機で食器を洗ったり、食べ物があわないとストライキを起こしたり、捨ててあるものをなんでもかんでも拾ってきたりと、あまりの文化の違いにとても貴重な経験ができましたよ。一番苦労したのが、入管との折衝でビザの更新、建前と本音が違うわけですから、つじつまを合わせて資料作り、ヒヤヒヤものでした(笑)。

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この話もまた「放送コード」ぎりぎりかもしれません(笑)。

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